子どもたちの群れ遊びが減り、増えてきたのがスポーツ少年団(以下、スポ少)です。
頻繁に届く地域からの不審者情報メールや、ニュースから流れる子どもを狙った悪質な犯罪事件を見るにつけ、親としてはどこで何をして遊んでいるのかわからないよりも、大人の指導者がいるところで、健康的に体を動かし、スポーツの楽しさを味わってほしいと思う気持ちはとてもよく解ります。
しかし、子どもが育つ為には ”スポーツ” よりも ”遊び” の方が必要なのです。
”遊び” と ”スポーツ” は似ていますが同じではありません。
スポーツチームでやるサッカーの 練習や試合は ”スポーツ” ですが、公園で集まった子どもたちがボールを蹴りあうのは ”遊び” です。
スキーでも記録更新や技術向上を目指して滑るのは ”スポーツ” で、”滑る” ことや自然を楽しむのは ”遊び” です。
私は ”遊び” と ”スポーツ” の違いは、やっているときに ”笑顔” があるかないか、 ”指導者” がいるかいないかだと思っています。
”遊び” は失敗しても負けても評価や大人の目を気にすることなく何度でも挑戦し楽しめますが、”スポーツ” では失敗や敗北にたいして怒鳴る、叱る指導者もいるくらいですから、指導者や親の評価を気にして心理的なダメージを受けます。
最近のスポ少の過熱ぶりは行き過ぎている感じがします。
小学生が土日と祝日、さらには平日も練習や試合をし、学校が休みの長期休暇中も毎日練習や試合があり、学校もスポ少もなくのんびり過ごせる日が年間を通じて3日程度という小学生もいます。
成長期の小学生がスポーツに起因するけがで整形外科や整骨院に通うのが普通になっています。
もちろん遊んでいてもけがはします。
何針も縫うような大けがをすることもあるでしょう。
しかし遊びでは ”体の一部の使い過ぎ” による、いわゆる ”スポーツ障害” はまず起こりません。
単純に ”楽しむこと” ではなく ”勝利” や ”記録” を追い求めると、様々なものを犠牲にします。
「自分はこういうやり方をしたいんだけど…」といってもコーチの指示には従わなくてはなりません。
「一生懸命頑張っているから一緒に大会に出たい…」と思っても身体能力が劣る友だちは試合には出れずにつまらなくなってやめていくこともあるでしょう。
指導者たちの理不尽な叱責や言動にも、”勝利” のために我慢することを受け入れた子どもたちの価値観は、”楽しい” ではなく、”勝った” か ”負けたか” 、 ”強い” か ”弱い” かになっていきます。
そして試合になれば、お茶や食べ物の準備、会場の設営、道具などの荷物運び、終わった後は選手の慰労会、車で送迎、汚れたユニフォームの洗濯まで親が世話をする。
競技種目のレベルはあがっても、子どもたちがおかしくなってしまっては問題です。
地域に子どもたちの群れ社会が無くなり、スポ少にでも入れないと遊び相手がいないし、子どもがやりたいと言ってきた場合には、勝つことよりも競技そのものの楽しさを教えてくれる、出来るだけ指導者が口を出さずに ”子どもが工夫できる余地がある” チームを選びましょう。
そして、様々なことをやりたがり、経験したら次のことに目を向ける子どもの特性を潰さないように、”休みたい” ”やめたい” ”今度はこれをしたい” と言ってきた時には、無理に続けさせず、その気持ちを尊重してあげようという心構えが必要です。
”サッカー”をやりたいといった子どもでも、休みなく練習をしたかったわけではないということもありますから。
それでも、様々な思考回路をつくる過程である小学生までは、”スポーツ” よりも ”遊び”のほうが必要だということは忘れずにいてください。
体育では嫌いな鉄棒でも、遊びならやりたがる子どもたちをみてそう思います。