ちょっと毒を吐きますので不快になるかもしれません。
(いつも吐いてるか・・・)
子どもを育てたことがない(どころか子どもがいない)講師が開催する子育てセミナーに人が集まる。
子育て経験があっても、我が子の子育てで失敗した⇒よさそうな子育て理論を見つけて学んだ(大体有料で講師の認定を受ける)という講師の話をありがたがって聞く。
凄く不思議。
みんなマニュアルが好きなんだなと思う。
自分の頭を使う必要がないから。
「勉強」と「子育て」は切り離して論じることが出来ない。
そもそも勉強は子育てのホンの一部なのだが、それをわかっておらず、「勉強=子育て」を日々実践している人が多い。
プラスで習い事。
そして、今の子どもたちがやらされている学校の勉強・宿題の内容、それが親子に与える影響の大きさ、それを無視して、机上の子育て理論だけを取り入れようとしてもそれは無理があり、当然解決しない。
実践してはじめてわかる矛盾点や問題点を経験していない講師が出来るのは、マニュアル通りのことだから。
だから、子どもがさせられている勉強(宿題も)を実際に何年もやって、子どもたちの実際の反応から組み立てられたどんぐり倶楽部の理論は信用できる。
指針はあるがこうしなさいというマニュアルがあるわけではなく、「子どもをよくみなさい。」そして「自分の子どもに良い環境を親が設定しなさい。」 とくる。
「目の前の子どもの状態が子育ての結果」
「育てたように育つ」
だから親が今までの子育てを振り返り、間違いを認め、それを子どもに謝り、よい環境を整える。
我が子に合わせた環境を整える。
テレビゲームは1時間まで…でもそれが我が子に当てはまるかどうかは子どもの反応をみなければわからない。
そもそも、子育て本やセミナーを盲目的にありがたがりすぎる人、過度に教材にはまる人は自自身で確かめたり考える習慣がなく、判断力が乏しい。
賞味期限の日付を信じ、自分の目と舌と鼻で判断しないタイプだ。
いや、本来聡明な人でも、我が子の教育となると冷静な分析・判断が出来ないほどだから、「子どもの教育」というのは魔物がすんでいるのかもしれない。
どんぐり倶楽部を受け入れられないのは無理ない。
『うちには(そんな厳しい環境設定は)無理。 』
『他を批判しすぎ。』
『HPがわかりづらい。』
『子育てに失敗なんてない』
『子育てに正しいやり方なんてない』
子どもよりも自分の「楽」を優先する。
そうして、目の前で血反吐を吐いて苦しんでいる(実際には考えることを拒否して固まっている)我が子を見ても、自分のプライドを優先する。
私だったら、我が子の問題が深刻でそれを治せるのなら、どんな嫌な奴でも、生理的に受け入れられなくても、たとえ法に多少触れても、内容がよければ頭を下げて学ぶ。
土下座だって躊躇せずにする。
そこに自分のプライドなど必要ない。
それだけが理由ではないが、無借金経営で安定していた一部上場企業も辞めたし、生まれ育った松戸市から自然がまだ多少は残っている我孫子市に転居もした。
どんぐり倶楽部を知った時、よい理論、よい問題、でもそこまでアンチ○文で叫ばなくても・・・と思ったが、知れば知るほど、そこでおかしくされた子に出会えば出会うほど、あれは犯罪組織だなと思い、自分が完全にアンチになった。
だから、私も子どもたちの反応と自分自身の経験を一番大切にしている。
どんぐり理論は素晴らしいものだが、自分自身が経験していないところが多かったので、批判的な目でみながら咀嚼してきたが今のところ覆せるところがない。
子どもの宿題も全部やってきた。
やる前から「よくない」と知っていたが、1年やってみて「なんてことを子どもたちにさせているんだ」と怒りがこみ上げた。
「(親子で)情緒が安定していると夜泣きもしない」というのも、長男・次男が結構ひどい夜泣きをしていたので、さすがにそれは”いいすぎじゃない?”と思っていたが、0歳から環境設定に気をつけている三男はほとんど夜泣きせず、寝ながら笑っているのをよく聞く。
起きている時間に多少イライラしたりや兄弟喧嘩で泣いても寝ている時は安定している。
親としては「夜泣き」ではなく「夜笑い」をしてくれるほうが楽で楽しいからとてもありがたい。(おなかが減った、目が覚めたらママがいない、という程度の夜泣きはあった)
学習教材マニアは嫌いだ。
いろんな教材を取り寄せて自分で試してみるというのなら素晴らしいが、いろんな教材を買ってきて子どもにやらせるだけ、時間がないから朝学習、基礎(と勘違いしている)問題集を5回転させる、時間の余裕がある小学校のうちに出来るだけ先取させる、効果がなければ次の教材へ、などとい子どもを無視したことを自慢げに語る人たちとは出来れば一生会いたくない。