最近、子どもが「遊ぶ」ことを否定的にとらえる大人が増えているように感じます。
いろんな思いがあると思います。
「遊んでばかりいないで勉強しなさい!」
「不審者が多いから外で遊ぶのではなく安全な習い事へ。」
「(スポーツ・音楽等を)始めるなら早い方がいい。」
もちろん勉強は大切です。でも、小学生のうちから学校でも勉強、塾でも勉強、家でも勉強、放課後や土日はスポーツや習い事で忙しく、隙間時間に束の間の遊び・・・という生活が、子どもの健全な成長の為に良いはずがありません。
気がついていないかもしれませんが、勉強というのは実体験ではなく仮想体験にすぎません。幼児・児童期には実体験の時間をたっぷりとりましょう。
自然遊び、外遊びについてはすでにたくさん書いてきましたので、今回は少し視点を変えて、大人から見た子どもの悪い遊びについて書いてみます。
昔は大人が子どもの世界に口を出すことはほとんどありませんでした。
遊び場は子どものもので、そもそも大人がいないのですから口の出しようがありません。
その為、子どもの遊びの世界に「大人の価値観」が入り込むことはありませんでした。
だから、そこは、子どもの本能、好奇心、探究心、仲間の意思などに支えられ、「倫理や良識」とは程遠い場所でした。
口を出す大人がいたとしても、子どもが木登りをしていて注意をする大人など少なかったでしょうし、子どものケンカに口を出す親も少なかったでしょう。
現代では、子どもが木登りをしていると親に苦情が届くか、学校に苦情の電話が届きます。
せめて直接子どもに言えばいいのに。
子どもがケンカをした時にも、親が思いっきり出てきて問題を悪化させ、仲直りの機会まで奪います。
とても残念なことです。
そして、そんな口を出す大人が少なかった昔でも、大人に知れたら叱られてストップがかかるような悪い遊びは、さらに大人の目が届かないところでやりました。
そんな場所がたくさんあったのですね。
●虫メガネで蟻を焼く。
●蟻の頭と胴体を切り離す。
●カエルに爆竹を刺して火をつける。
●ロケット花火で戦争をする。
●癇癪玉を道路にまく
●入ってはいけない場所に入り込んで遊ぶ
●火遊び・火薬遊び
●高いブロックの壁を登る
私が小学生だった1970年代後半~1980年代前半でも、このような遊びをしている子は結構いました。
まぁそういう遊びをしているのは主に男の子ではありましたが。。。
落ちたら大けがをするような場所、溺れたら命が危ない場所、ばれたら大目玉をくらうような遊び、そうした遊びは本当に楽しかった思い出として一生残っています。
昔の大人には、
「子どもは失敗から学ぶ。」
「子どもはやってみないとわからない。」
「何事も経験。」
という意識があったのだと思います。
さらに言えば、今ほど便利な家電はなく、子どもの数も多かったので、家事や雑務に追われて、子どもの遊びにまで時間をかけられなかったのでしょう。
私が教室に来るお母さんたちに、子どもたちをもっと外で遊ばせてあげましょう。
というと、
「不審者が多くて、危なくて子ども同士で遊ばせられない。」
という方がいます。
確かに、学校や市から届く不審者情報のメールは頻繁で、子どもだけで遊ばせることに不安かもしれません。
しかし、昔は安全だったかといえば、決してそういうわけではなかったでしょう。
昔も変わらず不審者はいたでしょう。
子ども同士で沼や川、海で遊んでいて事故にあう子どもは今よりも多かったでしょう。
ただ、そういう情報がリアルタイムで頻繁に届くということがなかったので、過剰に心配する必要がなかったのでしょう。
今、休日の公園には、遊具の周りで子どもを見ているお父さんお母さんがいっぱいいます。
落ちたら助けられるようにという配慮でしょうか、黙って見守っているのならまだ良いですが、
「あぶない!」
「ゆすらない!」
「ほら、そこをつかんで!」
「ちがう!ちがう!
と注意し、叱り、指示する大人でいっぱいです。
遊びなのに、親の言うとおりにしなければいけないなんて…。
帰ってきてランドセルを放り投げて遊びに行くどころか、家に帰らずにそのまま遊びに行くような、どこで何をしているのかわからない小学生を育てた母に、不安はなかったのか聞いたことがあります。
「男の子だから、これが見納めかもと思って毎日見送ったわよ。」
という返事でした。
あぁ、昔の親には覚悟があったのだと思いました。